古典に興味が持てないまま、何が面白いのだと思っている人がほとんどでしょう。しかし、実のところ、古典を色々と読んでいくと、有名な作品でもかなり興味深い話はたくさんあります。当然、そういう話は教科書には載りませんけれども、むしろそのような作品に当時の生きた息遣いが感じられることもあるのです。「徒然草」は鎌倉時代に兼好法師によって書かれた随筆です。この作品を中学高校で習い、中には「つれづれなるままに・・・」で始まる冒頭の部分を暗記させられた人もいることでしょう。ここでは筆者が徒然草の中でも屈指のおもしろエピソードと思っている第五十三段の「これも仁和寺の法師」をご紹介したいと思います。

 仁和寺というお寺であるとき宴会が開かれておりました。人間いつの時代でもっ払うと信じられないような行いをする人がいるもので、ここでもある僧がウケを狙って鼎(かなえ。三本足の壺または釜のような仏具)をかぶり、踊りだします。頭にそんなものをかぶって踊るのですから面白いに決まっています。当然その場は大爆笑の渦です。しかし、一通り笑いの波が去って、さあ鼎を脱ごうかという時に、無理にかぶったものですから耳鼻が引っかかって抜けません。最初は面白がって見ていた人々もこの有様に「何やってんの」という雰囲気になります。座が盛り上がってきた時に起きるアクシデントほど興ざめのものはありません。筆者もその昔、友人の結婚式に出席したとき、別の会場で、何故かはわかりませんが新郎が激昂して会場の係員に食ってかかっていたのを見たことがあります。周りは新郎をなだめ、花嫁は顔をおおって泣いていました。とんだ結婚式です。それはともかく、鼎をかぶった僧は息も絶え絶えになっています。打ち割ろうとしても金属製です、ぐわんぐわんと響くばかりでどうにもなりません。仕方なしに布をかぶせ医者のところへ連れて行くことになりますがその様子を兼好は「さこそ異様なりけめ(さぞかし異様なものであったろう)」と描写しています。確かに傍から見れば異様に頭の大きい人が布をかぶって手を引かれて歩いているようにしか見えません。結局医者にもどうすることもできず、知人や母が周りに座って泣き悲しむばかりです。最後には死ぬよりはマシだ、ということで首がもげるほど引っぱった結果、抜けるのですが、耳鼻は取れて穴が空いたようになってしまったという軽いスプラッタ描写で最後はしめくくられております。

 古典文学とはいえ、読み方によっては非常に興味深い話はたくさんあるのです。ただ、原典をいきなり読むのはかなり難アリだと思いますので、まずは現代語訳をされているものや、様々な作家の方が独自の視点で紹介している作品を読んでみてはいかがでしょうか。